
無謀だと感じるような夢を持つことも、生きていく楽しみのひとつ。
自分で弾いてみたいと想い続けている曲があります。
上原ひろみさんのXYZです。
初めてこの曲を聴いた時、彼女の姿、表情、瞳の色に、
分離していた音と人がひとつになり、大きな命になっていくように見えました。
始まりも、終わりも何もかもが気持ちがいい。
不協和音すら全て受け入れて、遊びに変えている世界の清々しさ。
弾きたい、この渦に没頭して音と共に昇りたい。
練習しようかという時に、ハワイ移住が決まり、
今も弾くことなど到底叶わぬまま、ピアノすらない日々です。
だけど、好きな曲、聴きたい曲はたくさんある中で、
自分が弾きたい曲はそうないし、細胞がこの音の群れを響かせたいと
願っているような気がして、イマジネーションの中で時折響かせています。
もちろん、私はピアノを普段弾いているわけではないので、
この曲を弾くなんて無謀な話です。
でもそんな小さな野望は、好きなことを体現するエッセンスになる気がします。
歌っている人、楽器を奏でている人の全体から出るエネルギーやマインドと、
音が持つ世界が融合されるのを見るのが好きです。
私の祖母はピアニストでした。
周りも音楽家ばかり。
家は、ピアノの音で常にあふれていました。
初孫だった私は何時間もピアノの前に座らされ、
自分で始めたバレエの方が好きだった私には、
プレッシャーも手伝い、正直苦痛でした。
でもその祖母が私に言った言葉が今でも残っています。
「聴いてる人に、世界を魅せなさい。風や星、香りがやってくるように。
絵を見せるように、まず自分が感じてその中に入ってから、鍵盤に指をおろしなさい。」
期待に沿うような孫ではなかったけれど、
彼女が生きたように、自分の心向かうことに沿って生きることで
意図せず、誰かの心にほんの少し別の世界を映すことができたらいい。
だから、この野望を諦めず、もう少し大切に持ち続けてみようと想うのです。
もしかしたら、XYZを弾く上原さんの無邪気なまま自分の密度を上げていく姿が、
いちばん惹かれている理由なのかもしれません。
