
毎日書くもので、ジャーナル以外にもう1冊MOLESKINEを用意しています。
ある日突然思い立ち、書き始めました。
勝手に、そのノートを「渡さない手紙」と呼んでいます。
それは本当に手紙のようなもので、宛先は「誰か」だったり、「動植物や自然」だったり
「出来事や状況」だったり、「物」、「天候」、「サプライズやシンクロやサイン」。
命あるものに宛てるときは、もうこの世界にいない場合や、
二度と会えなかったり、知らない人ということも。
内容は、感謝の気持ちや、好きなところ、
言葉では伝えられなかったこと。
誰にも見せないし、読み返すこともないし、絶対に送ることもない手紙。
1冊書き終えると、さっぱりと捨ててしまいます。
手紙と同じように、私の手元には残らないのです。
それでも、ひっそり書いていると自然に笑顔になっていたり、
ぼろぼろ泣いたり、書き終える頃にはすっきりと感謝の気持ちになります。
先日、最高の友達で家族だった犬が旅立ちました。
東京で10年一緒に暮らし、準備ができたらハワイへ引き取るはずでした。
でも、どうしてもハワイに来れなくなり、東京の実家で離れたまま暮らしていました。
亡くなる前日、あるはずのない場所から幼い頃の彼の写真が出てきて、
懐かしさと会えないことを想い、泣きながら渡さない手紙を書きました。
その翌日、病気でもない彼が突然逝ってしまったのです。
彼が亡くなった時刻に私は、庭の植えた覚えのない植物の天辺に、
真っ赤な花がぽんぽんとひらくのを眺めていました。
距離を超えて、伝えてくれていたのかもしれない。
そして、渡さない手紙を彼は知っているような気がしました。
まだ、何をしていても涙が落ちてしまうけれど、
日常の中の感謝の気持ちや好きだという想いを拾い書くことで、
世界を濁らすことなく透明にしてくれる。
それは、彼の生きた世界。
そして、送らないけれど届いてる。
書いてると、いつもそれを感じるのです。
